'09/11/10 ゴミ箱から拾ってきた映画、ジャン=リュック・ゴダール監督『ウイークエンド』(仏伊67年)Week End

暇にまかせて、何本かジャンル映画を見たのだが、あまり感心しなかった。少しは語るべきことはあるだろうが、それよりも、本当に面白い映画を見たいと思い、以前から気になっていたこの映画を見てみることにした。
個人的には、ゴダールの映画はそれほど見ていない。最初は、『気狂いピエロ』『彼女について私が知っている二、三の事柄』の二本立てを映画館で見て、どちらも大変気に入った。その後『勝手にしやがれ』をテレビで見てこれも良かったが、『軽蔑』『アルファヴィル』、近年の作品数本も見ているはずだが、思い出せないぐらいで、私は熱心なゴダールファンではない。とはいえ、放送された映画は大抵録画しているはずなので、見直そうと思えば、いつでも見直せる。

5196bnd3czl_sl500_aa240_『ウイークエンド』は、ミレーユ・ダルク、ジャン・ヤンヌ主演で、まだ劇映画の体裁を保っている作品である。ゴダールのフィルモグラフィ等を調べると、一時期、彼は「商業映画」から決別し、政治的主張主体の作品を作っていたらしい。『ウイークエンド』の中にも、政治的な部分が散見されるが、これは現代の日本人からみて、極めてわかりにくい部分だろう。
この映画の大筋は、お互い不倫をしていて、親の遺産を期待しているらしい若い夫婦が、いつものように週末、車で田舎の実家にご機嫌伺いに向かうが、道中散々酷い目に会う、といったもので、ストーリーらしいストーリーはないといってよい。だからといってつまらないわけでもなく、これが何とも面白いのである。
(余談ながら、ミレーユ・ダルクと言えば、アラン・ドロンと共演した『愛人関係』が日曜洋画劇場で放送されたとき、解説の淀川長治氏は、研ナオコ似の女優と紹介していたが、確かにそんな顔である)

前半で目立つのは、自動車の描き方で、バルコニーから車同士がぶつかって殴り合いになる光景を眺め、出掛けようとして他人の車にぶつけて銃をぶっ放されるは、大渋滞に巻き込まれると、ひっくり返っている車やら、燃えている車やら、道路には死体が横たわっている(これを夫婦の車の進行に合わせて長々とパンして映していく)やら、田舎町でトラクターとスポーツカーが衝突事故を起こして階級闘争議論になるわ、そこかしこに車がひっくり返っているわ、燃えているわ、戦場さながらである。このような自動車の否定的な描き方が徹底しているところが面白いし、共感する。
私は、車自体は大好きだが、車社会には否定的である。わが国の連休における高速道路の渋滞ほど馬鹿げたものはないと考えている。それはさておき、「交通戦争」という語があるように、日常的に、あちらこちらで「闘争」があり、個人個人の攻撃性がぶつかり合う様が、延々と描かれる。「ドラマ」というより、まさしく、一種の「アクション」と言えるだろう。
それから、事故を起こして、車を失った二人は、歩いて実家を目指す。色々なエピソードがあり、ヒッチハイクしたりして、何とかたどり着くが、その後、映画は、田舎暮らしと革命がごた混ぜになったような「革命ごっこ」の様相を呈して終わる。
途中、こんな映画に出てしまって、とか、映画なのか現実なのか、とか、映画の虚構性を露わにする演出もあり、どんな撃ち合い、殺しあいがあっても、劇中リアルタイムで起こっている現実ではなく、絵空事として映る。
映像の間に何回も挟まれ、全体を細かく分けているような字幕も、そういった感じを強める。

一度見ただけではわかりにくい映画ではあるが、最近は便利なもので、デジタル録画なら、早送りも巻き戻しも自由自在、何度でも見直せるわけで、そのように、行ったり来たり、何度も見直しても楽しめる映画である。

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似たような邦題の映画がいくつかあるので、以下にいくつかあげて見るが、ゴダールの映画の題は「イ」が小さい「ィ」ではなく、『ウィークエンド』は別の映画である。

ウィークエンド(加76年)Death Weekend ウィリアム・フリュエ監督、ブレンダ・ヴァカロ、ドン・ストラウド主演のサスペンス、田舎の別荘でのんびりしようとしていたら暴漢グループに襲われるが、報復に一人一人殺していくといくという暴力描写に溢れた映画、国内ビデオ化。昔、テレビで見て、強烈な印象があったので、ビデオを入手。

新・ウィークエンド(加78年)Rituals 上の映画とは無関係、ハル・ホルブルック主演のサスペンス。昔、テレビで見たような気もするが、不明。ちょっと見てみたい。

ダーティウィークエンド(伊73年)Mordi e fuggi / Dirty Weekend ディーノ・リージ監督、マルチェロ・マストロヤンニ主演のサスペンス調コメディ(コメディ調サスペンス?)。見てみたい。

ダーティ・ウィークエンド(英93年)Dirty Weekend マイクル・ウィナー監督のサスペンス、国内ビデオ化。

濡れたウィークエンド(伊78年)Enigma Rosso アルベルト・ネグリン監督、ファビオ・テスティ、クリテティーネ・カウフマン主演。昔、テレビで見た。内容的には、同じファビオ・テスティ主演の『ソランジェ 残酷なメルヘン』(伊72年、マッシモ・ダラマーノ監督、国内DVD化)に近い、ジャーロものだったと思う。米国でのビデオ題が "Trauma" だったようで、この名前で、映画パックセットのDVDに含まれていたり、単体のDVD-Rでも入手可能であることがわかった。

ウィークエンド・ラブ(英73年)A Touch Of Class メルヴィン・フランク監督、ジョージ・シーガル、グレンダ・ジャクソン主演の不倫恋愛もの。昔、テレビで見たが、コメディ調で、ほろ苦い。音楽が効果的(バーゲンで出ていた中古サントラLPを最近買った)。名作だと思うが、なぜかなかなか国内DVD化されないし、テレビ放映もされない。米国版は簡単に購入できるが、『フレンズ』の例もあるので、手をこまねいている。

他にも、邦画『ウィークエンド・シャッフル』を初め、色々ある。

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'09/11/09 ゴミ箱から拾ってきた映画、アンソニー・M・ドーソン監督『地獄の謝肉祭』(伊80年)Cannibal Apocalypse

ベトナム戦争で人肉の味を覚えた兵士が病院から脱走、喰われた者は新たに肉を欲するようになり、カニバリズム(人肉嗜好)が一帯に広がる。

こんな概要を読んで、どんなすごい映画なのだろうと想像しつつ、これまで避けて見なかった映画なのだが、手持ちのVHSビデオで見てみたところ、何のことはない、大した映画ではなかった。

51jk62bt91l_sl500_aa240_有名なグロテスクなシーンがいくつかあるが、全体的に、話の広がりの小さい、こじんまりとした映画という印象。
カニバリズムといっても、人肉食いがそれほど描かれるわけではない。
ベトナムで捕囚となっていた二人が、あまりの飢えに、穴倉に落ちてきた死体を食ってしまう。彼らを助けようとした上官は、腕を噛まれる。この人肉食いは、噛まれると伝染するという設定。しかし、カニバリズムが実際描写されるのは、冒頭のベトナムのシーンだけで、あとは、食べた形跡がある、と台詞で報告されるだけである。噛まれた人は、人肉食いがうつるというより、凶暴化して、人に噛みつく。しかし、噛みついただけで、人が簡単に殺せるわけはないのだが...

部下の一人が病院から退院するが、映画館で観客に噛みつく事件を起こし、ショッピングセンターに立てこもる。かつての上官であるジョン・サクソン演じる主人公は、彼を説得し、病院に連れ戻す。しかし、かつて噛まれた彼も、内なる狂気に支配され、見張りを噛み殺し、部下二名と、噛まれて「仲間」と化した看護婦の四人で脱走する。警察に追われて、マンホールから地下の下水道に逃げ込む。三人の仲間は次々殺されるが、主人公は何とか逃げ伸び、妻のいる家に戻り、...といった話。

主人公は、殺しはするが、彼が人肉を食う描写は一切ない。また、病院から救急車で逃げ出した四人が、車を乗り換えるために修理工場を襲い、職工を殺すのだが、そこで、一人が死体をグラインダーで切り刻む。看護婦はその様子を目を輝かせて眺めている。新しい車に乗り込むとき、一人は、大きなビニール袋の包みを持っているが、どうも、その中には、先ほど切り刻んだ死体の肉が入っているという設定と思われる。しかし、期待されるような、四人が、この袋の中身を分け合って、むしゃむしゃやるといったシーンは一切ないのだ。
つまるところ、人肉食いは、この映画では、見世物的要素として取り入りられているが、中心的な主題にはなってないのである。伝染するのは凶暴性である。
ゾンビや化け物が、生きている人間を襲い、食うというのは、はっきり悪が区別されていて、安心できるのだが、この映画の怖いところは、見た目は正常で普通な人間が、武器や凶器をもっているわけでもないのに、野獣のごとく、噛みついて、他人を襲い、殺すところである。ウンベルト・レンツィの『ナイトメア・シティ』で描かれた吸血病も近いところがあるが、この病気に侵された者は、真黒な顔になって、正常人とははっきり区別できる化け物として描かれていた。だが、この『地獄の謝肉祭』では、誰にでも、暴力性や狂気が潜んでいる、という描き方がされている、と思う。実際、ラストシーンは、主人公の家に急行した警部が、「これで終わったな」と言うが、実は隣の家で、...といったものになっている。
ゾンビものの多くは、異常者多数と少数の正常者の戦いが描かれるが、この映画では、少数の異常者が、多数の正常者にせん滅される。ラストの主人公の運命と言い、少々悲劇的だ。

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なお、劇中、最初の事件の起こる映画館で上映されているのは、ウンベルト・レンツィ監督の『戦争と友情』 (仏伊英独78年) FROM HELL TO VICTORY のようだ。国内版のビデオが以前出ていた。

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'09/11/08 ゴミ箱から拾ってきた映画、エドガー・G・ウルマー監督『驚異の透明人間』(米60年)The Amazing Transparent Man

日本国内のDVDの高額さにはほとほと辟易する。米国ではとても安価なものが、とてもなく高値になってしまう。字幕を追加しないといけないとか、そもそも市場の広がりに圧倒的な差があるのだから仕方ないことであるのは理解できるのだが、それにしてもである。
再販制度の弊害もあるだろう。これがなくなってしまうと、良質な書籍などが出版されにくくなる弊害があるといった議論があるが、そもそも極めて読者の限られた書物が少数しか売れないのは当然であって、あまり関係ないと思う。数が売れないから最初から高値が付いているし、それゆえおいそれとは買えない。

51gxwe060dl_sl500_aa240_字幕だけのために、何倍もする国内DVDを買うよりも、英語に強くなって、米国製を輸入したほうがずっと得だろう。例えば、表題のこの映画、著作権切れで、米国では、各種パックセットに含まれており、極めて安価に入手できる。国内DVDも販売されているが、これはかなり良心的な価格で、1,000円でお釣りが来るのだが、それでもコストパフォーマンスは悪すぎる。余程この映画が気に入って、どうしても字幕入りで見たい人向けではないだろうか。
この映画は、以前、衛星のシネフィル・イマジカで、低予算のカルト映画を何本も撮ったエドガー・G・ウルマー監督の映画が何本か紹介されたとき、録画したもの。よって、ありがたいことに字幕付きで見ることができた。
お話は、強盗が脱獄させてもらいうが、それは、透明人間の実験のために、放射性物質の盗みをさせるためだった。彼は透明人間になってまんまと盗み出すが、そんなことには関わってはいられないと、透明人間のメリットを活かして、銀行強盗を働き、逃げようとするが、...といったもの。
まあ、予算の安い映画である。しかも、上映時間は一時間に満たない小品、古い白黒映画である。これだけに千円払う価値があるかどうか...

映画の難しいところは、見る人は、見たものをそのまま信じることである。いわゆる「ヒッチコック、トリュフォー」本の中で、『舞台恐怖症』で用いられた嘘のフラッシュバック(過去の追想シーン)についてトリュフォーが批判しているのを、ヒッチコックも認めている。観客はフラッシュバックは真実であると疑いもなく見ているからだ。嘘のフラッシュバックは、推理小説でいえば、アガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』のアンフェア論争を呼んだトリック、小説の語り手の叙述に嘘があるというものに相当するだろう。
もっとわかりやすい例では、テレビドラマでもよくあるパターンで、二人の登場人物の心が入れ替わってしまうというのがある。見た目はある人でも、中身はまったくの別人というわけだ。しかし、どれほど役者ががんばろうとも、見る人にとっては、どう見ても、その人はその人にしか見えないのであり、理屈では中身が入れ替わっているとわかっていても、そのように見るのは大変困難である。
透明人間を描くのも、難題の一つだろう。パントマイムは、演技者が、そこにはないものがあたかもあるかのように見せるのだが、透明人間を表現するのは、この逆であり、いかにも映画らしい表現が要求される。これを単に、この映画でも1シーンあるが、透明になった強盗に殴られるというのを、殴られる側がどれだけそれらしく演じようと、見ている人には、そこに透明人間がいるようには見えない。理屈ではわかっていても、どうしても、ただ、役者が、おかしな独り芝居をしているようにしか見えないのである。
透明人間のよくある描写として、足跡が地面に点々ついていくとか、誰もいないのにドアが開き、窓が開いてカーテンが揺らぐとか、いったものがあるが、これでも見る人を十分納得させてくれない。
ヒッチコックは、サスペンスを定義して、登場人物にはわからないが、観客にはその状況がわかっているように描写することを説明している。単に、お化け屋敷的に、殺人鬼がぱっと登場するのでは、一瞬驚くだけだが、殺人鬼が扉の影で待っていて、そこに登場人物が近づいていくところを描けば、さて、どうなるのだろうと、見ている人はドキドキするというわけだ。その理屈からいって、透明人間を描くには、観客には透明人間の居場所、動作がすべて見えるのだが、登場人物には見えない、という描き方が望ましいと思われる。しかし、これを単純に、何の芸もなく映像化すると、「透明人間」と言うのは名ばかりで、普通に見えているのに、他の役者が見えてない振りをしているだけに見えてしまうだけなのが困る。
残念なことに、個人的には、透明人間もので、納得のいく描写がされている映画にこれまで出会ったことがない。この『驚異の透明人間』もまたそうだ。解決策の一つとして、主観カメラ(カメラが透明人間の目になる)の多様が考えられるが、これだけでは十分ではないだろう。

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51v4sehkg3l_sl500_aa240_余談ながら、...
透明人間ものといえば、ゾンビ映画のダイジェスト集である『ゾンビーズ 生ける屍の群』に「透明ゾンビ」なるものが出てくる。実際には、ゾンビではなくて、類人猿みたいなやつなのだが。これは、
La vie amoureuse de l'homme invisible
(aka. Orloff Against the Invisible Man)
(aka. Orloff and the Invisible Man)
(aka. The Invisible Dead)
という、(仏71年)ピエール・シュヴァリエ監督の、クズ映画らしい。あのジェス・フランコ作品『美女の皮をはぐ男』などでお馴染みのハワード・ヴァーノン主演、オルロフ博士ものの一本ということらしく、米国では単品のDVDだけでなく、オルロフ博士シリーズのDVDセットまで出ているようだ。国内では『地獄墓地 死霊のうめき』のタイトルでVHSビデオが出ていたらしい。
クズ映画だとわかっていても見たくなるんだよね、こういうの。

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'09/11/08 ゴミ箱から拾ってきた映画、『凶銃ルガーP08』(94年)

これは、渡邊武監督、阿部寛、中島宏海、三浦綺音、大杉漣、高島礼子ほか出演の和製バイオレンス・アクション映画、原作は大藪春彦の同名小説だが、主人公の名前が同一である以外、原作への忠実度の低いオリジナルストーリーであるとのこと。
これもVHSビデオを所有しているが、それを見る前に、衛星で放送されたのを録画して、しかも、録画したまま見ずに放りっ離しになっていた一本である。
さて、この映画のどこに興味を引かれたのかと言えば、単に個人的に中島宏海さんが大好きである、という事実以外に理由はない。この映画では、クレジット上は主演女優となるのだが、実際の役柄はそれほど重要なものではない。ちなみに、今や大女優として成功している、若い頃の高島礼子さんも出ているが、ニュースキャスター役で、ごく小さな役。良く見ないと気付かないぐらいである。
この映画は、主役を演じる阿部寛のためにある、と言うべきものである。話としては、その銃を手にした者は殺人を犯さずにはいられないという、ルガーP08を手にしたサラリーマンが、凶暴化して、犯罪者を撃ち殺していくが、チンピラに恨まれ、妹を誘拐されてしまい、助けるために単身敵地に乗りこんでいくといったもの。ただし、この主人公、ポール・カージー(チャールズ・ブロンソンが『狼よさらば』で演じた主人公)のような、妻子を殺された恨みから、無力な警察に代って「必殺処刑人」になるという、正義に走るというよりも、銃の魔力に魅せられて、暴力の世界に引き込まれていく、といったもの。邪魔する者は、警官でも、情け容赦なく撃ち殺してしまう、彼もまた犯罪者である。
大藪春彦原作の映画で松田優作が見せたような、体を鍛えるシーンもあるのだが、率直に言って、阿部ちゃんには無理があると思う。彼は、背が高すぎるほど長身だが、あまり、きびきびしたアクションが得意そうには見えない。第一、凶銃に取りつかれて段々狂気がエスカレートするという役柄なのだがら、トレーニングしてストイックに体を鍛えるといったことはミスマッチに思える。(原作にこういった描写があるのかもしれないが、恐らく、主人公の造形が異なるのだろう) しかし、のそーっとした感じから、パッと銃を取り出して、撃ちまくるところは決まっている。マカロニ・ウエスタン調の映画には的役ではないだろうか。
いずれにせよ、阿部ちゃんは、人の良さが出てしまっていて、『野獣死すべし』の松田優作が演じたような、狂気に憑かれた主人公を演じるのは無理がある。かっと丸く目を見開いた表情は、狂っているというより、恐怖映画での犠牲者のようにしか見えない。

さて、肝心の中島宏海さんの役は、米軍の闇物資の銃弾を仲介する女。阿部ちゃんとの激しい絡みもある。しかし、『NOBODY』でのファム・ファタール的な悪女役に比べると、この映画の役は、最後に主人公を心配して敵地に現れたり、主人公の恋人っぽくなっているのが中途半端で良くない。この深みがないキャラクターは脚本の弱点だろう。もう一人の女性として、三浦綺音演じる、主人公の歳の離れた妹、兄と同居しており、近親相姦的な愛情を抱いているというキャラクターが出てくるが、この二人の女性がうまく描けず、半減しあって、たがいに弱めてしまっているようだ。

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'09/11/07 ゴミ箱から拾ってきた映画、『南から来た用心棒』(伊仏66年)Man from Nowhere (aka "Arizona Colt")

ジェス・フランコ監督『X-312 フライト・トゥ・ヘル』について書いたとき、出演者のフェルナンド・サンチョのその他出演作としてジュリアーノ・ジェンマ主演の『南から来た用心棒』を挙げたこともあり、どうしてもこの映画を再見したくなった。
ジュリアーノ・ジェンマと言えば、フランコ・ネロに次ぐ、マカロニ・ウェスタンを代表するイタリア人俳優と言えると思うが、個人的に彼に興味を引かれたのは、水野晴郎解説の「水曜ロードショー」で、『荒野の1ドル銀貨』『続・荒野の1ドル銀貨』が連続放送されたのを見てからだ。彼の西部劇はほとんど見ているはずだが、個人的には、一番記憶に残っているのが、この『南から来た用心棒』なのである。
そこでソースを探して見たところ、国内DVD化されていたようだが、廃盤となったボックスセットの一枚に含まれており、このセットが入手困難。あっても相当な高値らしい。仕方ないので、海外版を探してみたところ、あるにはあるが、適切なものではない。(適切とは、NTSCで、できれば英語音声か、英語字幕付きのもの、リージョンは何でもよい、といったところ)
よくよく探してみたところ、セット商品の中に含まれているのを見つけた。

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Spaghetti Westerns 20 Movie Pack (2008)

これは、Mill Creek Entertainment という会社から出ている、DVD5枚セット、20本のマカロニ・ウエスタンが収録されたお買い得商品である。この会社は、他にも、著作権が切れた、あるいは不明の映画をたくさんかき集めた各種パックセットを発売しているようだ。中には、映画250本で9,000円(!)のセットという、すごいものまである。しかもセット内容が、決して馬鹿にできないものなのだ。この「スパゲティ西部劇」セットの内容を紹介しよう。(Amazon.com のコメントに少々手を加えた。国内でDVDが出ているものも何本かあり、DVDと表記した)

[Disc 1]
Beyond the Law (Italy/W Ger./Monaco-1968) - Lee Van Cleef / Antonio Sabato / Gordon Mitchell / Lionel Stander / Bud Spencer 「風の無法者」ジョルジオ・ステガーニ監督
Apache Blood (1975) - Ray Danton
This Man Can't Die (Italy/Spain-1967) - Guy Madison / Rik Battaglia
Gunfight At Red Sands (Spain/Italy-1963) - Richard Harrison 「赤い砂の決闘」リチャード・ブラスコ監督 DVD

[Disc 2]
Death Rides A Horse (Italy-1968) - Lee Van Cleef / John Phillip Law 「新・夕陽のガンマン/復讐の旅」ジュリオ・ペトローニ監督 DVD
Sundance and the Kid (Italy/Spain-1969) - Giuliano Gemma / Nino Benvenuti「荒野の大活劇」ドゥッチオ・テッサリ監督 DVD
Grand Duel (Italy/France/W. Ger./Monaco-1972) - Lee Van Cleef 「怒りのガンマン/銀山の大虐殺」ジャン・カルロ・サンティ監督 DVD(DVD題は「ガンファイター」)
Twice a Judas (Italy/Spain-1969) - Klaus Kinski / Antonio Sabato

[Disc 3]
Man from Nowhere ("Arizona Colt") (Italy/France-1966) - Guiliano Gemma 「南から来た用心棒」ミケーレ・ルーポ監督 DVD
Minnesota Clay (France/Spain/Italy-1965) - Cameron Mitchell 「ミネソタ無頼」セルジォ・コルブッチ監督 DVD
White Comanche (Spain-1968) - Joseph Cotten / William Shatner
China 9, Liberty 37 (Italy/Spain-1978) - Warren Oates / Sam Peckinpah

[Disc 4]
It Can Be Done Amigo (Spain/Italy/France-1972) - Bud Spencer / Jack Palance
God's Gun (Italy/Israel-1976) - Lee Van Cleef / Jack Palance / Richard Boone
The Fighting Fists of Shanghai Joe (Italy-1972) - Klaus Kinski / Chen Lee 「荒野のドラゴン」マリオ・カイアーノ監督 DVD
Between God, the Devil and a Winchester (Italy/Spain-1968) - Gilbert Roland / Richard Harrison

[Disc 5]
Trinity And Sartana (Italy-1972) - Robert Widmark マリオ・シチリアーノ監督、「サルタナ」シリーズの一本
Find a Place to Die (Italy-1968) - Jeffrey Hunter
Johnny Yuma (Italy-1966) - Mark Damon / Lawrence Dobkin 「皆殺し無頼」ロモロ・グェッリエリ監督
Fistful of Lead (Italy-1970) - George Hilton / Charles Southwood / Erica Blanc アンソニー・アスコット(ジュリアーノ・カルメニオ)監督、「サルタナ」シリーズの一本

リー・ヴァン・クリーフ主演作品が20本中4本ある。そして、何より、あの怪作、大傑作『荒野のドラゴン』が含まれている。
いずれも、英語音声で字幕なし、リージョン・オールである。日本語字幕が付いていないのは、少々辛いところだが、それだけのために国内版の高すぎる商品は買えないので、割り切って考えるべき。英語のリスニングの勉強になるとでも思えばよい。画質や音質については、言うまでもなく、過度の期待は禁物である。だが、立派なホームシアターで見るのでもなければ、貧乏人が気にするほどのこともない。
『南から来た用心棒』については、テレビの吹替え版を見て筋書きは大体覚えているので、台詞がほとんど理解できなくてもそれほど問題にはならなかった。

ミケーレ・ルーポ監督によるこの映画は、マカロニ西部劇の中で、傑作と呼べるほどの出来栄えではないし、ジェンマ主演作としても、ドゥッチォ・テッサリ監督の作品に比べると評価が低いと思う。しかし、個人的には、これが一番好きなのだ。この映画の特徴として、ジェンマ演じる主人公は、善人ではないことだ。監獄に入れられていたのが、フェルナンド・サンチョ率いるならず者連中が、囚人を仲間に引き入れるため、監獄破りを行い、自由の身になる。いかさまポーカーをやるし、金にも女にも目がない、一匹狼の悪党として描かれる。これが最後には、心を入れ替えて、正義の味方になるわけだ。このワルでクールなところが良い。
きれいどころは、コリンヌ・マルシャンという女優さんだが、彼女があまり可愛くないというのがこの映画の人気の無さの理由の一つなのかもしれない。役どころは、ツンとしたお嬢様で、最初は不良の主人公に反発を覚えるが、段々惹かれていく。フランスとの合作ということで、フランス人女優がキャスティングされたようだ。クール・ビューティな感じで、個人的には悪くないと思う。
この映画の良いところは、悪役のフェルナンド・サンチョだろう。彼の堂々とした悪役振りがあればこそ、この映画は引き締まっているのだが、しかし、殺すは、殺す、いったいどれだけ殺せば気が済むのだろうか、この男は。イタリア製アクション映画の素晴らしい解説書である、二階堂卓也氏の「マカロニアクション大全」では、

大量殺りくはマカロニ・ウエスタンの特質には違いないが、それも然るべき理由があってのことだ。(中略)納得できる殺人がまるでなく、こう無節操にやられては、見ているコチラがバカにされてる気になってくる。

と評されている。しかし、サンチョの演じたこのゴルドという奴の情け容赦のない殺し振りは、悪くないと思う。ルイス・ブニュエルの自伝で、メキシコでは命が安い、日常的に殺人がある、といったことが書かれていたのが思い出される。
しかし、殺しまくるといっても、その描写は軽いもので、まあ、安い映画にありがちなことなのだが、撃たれても、服に穴が開くわけでも、血が流れるわけでもない。ただ、倒れるだけである。しかし、現実には、人は拳銃の弾一発では簡単に死にはしない。余程急所を打ち抜かない限り、血を流し、痛みに苦しむはずだ。そういったところが軽く済まされてしまうのが、娯楽映画の娯楽映画たる所以。それでも、主人公アリゾナ・コルトが、悪党ゴルドに四肢を撃たれて、苦しむことになっているのが、その他大勢の軽々しい死を補っているのだろう。

ジュリアーノ・ジェンマは、体格が良いが、身軽で、アクロバットのような動きをする。若い時の、バート・ランカスターを思わせる。馬にまたがる動作一つ取っても決まっている。そこが魅力的だ。

西部劇の主人公は、相撲の四股名のような変な名前が色々あるが、このアリゾナ・コルトというのもその一つ。
原題は「どこからか来た男」なのだが、邦題は「南から来た...」となっているのは、主人公の名前である、アリゾナが南西部にあるからだろうか。しかし、考えたら、テキサスのほうがもっとも南である。悪党一味がメキシコ方面から流れてきたのと一緒に来たからかな?

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'09/11/06 ゴミ箱から拾ってきた映画、『雨上がりの駅で』(伊96年)COMPAGNA DI VIAGGIO

アーシア・アルジェントと言えば、かのダリオ・アルジェントとダリア・ニコロディの恐怖カップル(?)の間に生まれたという、血統書付きの女優である。最近はアメリカ映画にも進出しており、結構見かける顔であるはずなのだが、私は、『トリプルX』と、ジョージ・A・ロメロ監督の『ランド・オブ・ザ・デッド』を見たはずだが、この女優はさっぱり印象がない。(どちらの映画とも内容自体あまり記憶にないのだが...)
そこで、ダリオ・アルジェント監督の『スタンダール・シンドローム』を見て、アーシア・アルジェントの魅力を堪能することができた。私はダリオ・アルジェントは立派な映画作家の一人と考えているが、必ずしも、彼の映画の熱心なファンというわけでもなく、いまだ見てない作品もいくつかある。『スタンダール・シンドローム』について言えば、面白い映画ではあったが、好きかと聞かれると必ずしも頷けないのだ。確かに素晴らしい映像を含んでいるが、娼婦がピストルで殺害されるシーンで、銃弾が頬を貫通して口の中を通り、また頬を貫通して外に出ていくところを、作り物を使ってアップでしっかり見せるといった病的に凝った映像は容易には受け入れ難い。(こういったこだわりが、アルジェントの映画が、ただのジャンル映画ではないということでもあるわけだが...)
この映画の評価はさておき、主演女優アーシア・アルジェントは、役柄はともかくとして、存在感十分、説得力があってとても良かった。

516x3bteafl_sl500_aa240_アーシアの出ている映画は多分いくつか録画してあったと思ったのだが、なにやら、題名に「駅」が入っている映画があるらしい。イタリアの最近の映画で「駅」が出てくるものといったら、確かサスペンスもので、少し見たことがあったな、と思い、、DVD-Rを探して見ると『雨上がりの駅で』というのがあったので、これを再生してみると、確かにアーシアが出ている。しかし、これはまったく別の映画だった。(私が見た記憶があったのは、『殺意のサン・マルコ駅』(伊90年)だった。これにはアーシアは出ていない) 何やら、ミシェル・ピコリの老人と旅をするロードムービーとのことである。
流して軽く見ていたのだが、サスペンスでも、ホラーでもないし、ストーリーが面白いとかどうといったものはなかったのだが、見ているうちに段々集中が高まってきて、最後まできっちり見てしまった。
アーシアはまだかなり若くて、日本で言えば高校卒業したてぐらいの役だろうか。頼まれて、アルバイト代わりに、ミシェル・ピコリ演じる元教授の、認知症気味の徘徊老人が、気ままに旅して回るのを、尾行するという話である。尾行しているうちに、尾行でなくなって、一緒に旅するようになるが、あまりに振り回されるので、すっかり嫌になって見放して、自分自身さえすっかり嫌になって、40過ぎのセールスマンに身を任せ、同年代の工場勤めの少女と知り合うが、川に飛び込んで自殺未遂して助けられ、最後に老教授と再会する。
アーシアの顔付きは、両親の暗いイメージを引き継いでいるようで、それが成熟していない少女の不安定な心、危うさを描くには的役ということか。『ガールズ』のアンヌ・パリローを連想したが、この映画を見直してみないと何とも言えない。
せっかくこういう役をもらったのに、この後、親父のとんでもない映画に主演したのは良かったのか悪かったのか... ちなみに、私はまだ彼女が監督・脚本・主演したという『スカーレット・ディーバ』は見てない。

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'09/11/05 ゴミ箱から拾ってきた映画、ジェス・フランコ監督『ドラキュラ 吸血のデアボリカ』(独伊西70年)COUNT DRACULA

これもまた、ユーロ・トラッシュの帝王ジェス・フランコ監督作品のうち、出来の良さそうな一本である。この映画は、近代映画社・スクリーンネオブック「THE HORROR MOVIES 4」で紹介されており、題名が『ドラキュラ伯爵』となっている。この古いビデオはなかなか入手困難。国内DVD化されたものもあるが、そのタイトルは『吸血のデアボリカ』となっている。これはDVD出始めの頃のもので、音声が日本語吹替か英語か選択できるが、字幕なしという変な仕様らしい。そこで、古いビデオのほうを入手しようかと考えていたのだが、実は、この映画、以前衛星の「ホラーTV」で『ドラキュラ 吸血のデアボリカ』のタイトルで放送されており、私は二回も録画してDVD-Rに焼いていた。ビデオのタイトルで探していたので、うっかり見落としていたのだ。(北米版のスペシャルエディションDVDが出ているので、買うならそれが良さそうだ)
ドラキュラ伯爵役はお馴染みのクリストファー・リー、ヴァン・ヘルシング教授がハーバート・ロム、レンフィールド役にクラウス・キンスキーという配役を見れば、ぜひとも見たくなるではないか。
冒頭、クレジットのあとに、「プラム・ストーカーの原作を映画として初めて忠実に再現する」といった字幕表示がある。どの程度忠実なのか、昔原作を読んだことはあるが、ほとんど忘れているので、判断つきかねるのだが、確かにそういった雰囲気はある。全体を通して、地味と言えば地味。
クリストファー・リーは、これまでにハマー・フィルムで何本もドラキュラを演じているが、それらに比べると、とても落ち着いた描写で、文芸映画路線である。雰囲気は、この前の『ジュスティーヌ』に近い。同じように「コスチューム・プレイ」なのだが、恐怖映画ということで、演出はこちらのほうが少々冴えている。特に、ルーシーが襲われるシーンなど、なかなか見せてくれる。ドラキュラ城も良い雰囲気だ。
ハマー・フィルムの作品ような、扇情的なシーンはまったくないので、そういう盛り上がりを期待して見ると、すかされたような気がするかもしれない。淡々と、脚本通りに撮られているなあ、という感じなのだが、その抑えた感じが、好ましいと思えば好ましいのである。そんな中、リーのドラキュラ役はさすがに堂に入ったものだが、ヴァン・ヘルシング教授役のハーバート・ロムは気合いが入った演技で説得力がある。クラウス・キンスキーは、『ジュスティーヌ』に続いて、監禁され苦しんでいる役なのがちょっと可笑しい。(後に、ヘルツォークの『ノスフェラトゥ』で彼もまた吸血鬼を演じるわけだが)
ハマーのドラキュラ第一作では、ヴァン・ヘルシング教授が、原作にも出てくる、蓄音器で記録を録音するのが印象的だったのだが、この映画では出てこない。また、ルーシーが吸血鬼として甦り、子供をさらうシーンが、あっさり描かれ過ぎているように感じた。(ポール・ナッシーの映画だったらスモークを焚いて霞がかったような感じになるだろう) 奇を衒い過ぎるのも良くないが、あっさりすぎて、生きている人との区別がつきにくいのも良くない。レンフィールドの描写が念入り過ぎるのがバランスが悪い気がする。前掲書の評では、

典型的なB級ゴシック・ホラー。今見ても、さほど恐怖感がないのは無理からぬことだろう。

となっている。しかし、『ジュスティーヌ』もそうだったが、この映画もまた、客の呼べそうな、いかにもジャンル映画向けの素材を、真面目に文芸路線で作ってみました、というようなものだと思う。その意図は成功していると思う。個人的には、大変楽しく見られたし、気に入った。毎度のブルーノ・ニコライの音楽も良い。

私は、幼少時代に、この手の恐怖映画を色々見て育ったので、違和感なく、受け入れることができるのだが、最近の派手なホラー映画しか見たことのない人がこのような映画をみたら、まったくつまらなく感じるのではないだろうか。個人的には、ハリウッド資本で、派手派手しいアクションと特殊効果を詰め込んだ『ヴァン・ヘルシング』のような的外れの映画こそつまらないと感じるが。そんな無駄に費やす資金があるのなら、もっと良い映画を何本も撮れるのにという気がする。クズ映画と呼ばれようが、低予算で面白い映画には見習うべきところが多々あると思う。

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'09/11/05 ゴミ箱から拾ってきた映画、クロード・ルルーシュ監督『流れ者』(仏70年)LE VOYOU / THE CROOK

名作『男と女』で知られるクロード・ルルーシュは、偉大なフィルムメーカーの一人であることは間違いない。彼の映画は、国内でも多くがビデオ化されたし、NHKの衛星放送でも主要な作品はほとんど放送されている。ときにわけのわからない映画も作るが、それでも大好きな映画作家である。
個人的には、ルルーシュの映画を見たのは、『男と女』や『白い恋人』たち以前に、三重テレビのローカルな映画枠で、『愛と死と』と『流れ者』を見て、そのあと、ソニー企画提供の、リクエストで放送する洋画が決定された特別放送の一本として、『男と女』を見た。当時はベータのビデオテープ一本も高価で、『愛と死と』は録画しなかったのか、上書きしてしまったのか、失くしてしまったのは非常に残念。他の二本はDVD-Rにダビングして残してある。
『愛と死と』は、確か、妻か愛人を殺した男が死刑に処せられるのを白黒混じりの映像で描いた、死刑反対を訴えるような映画だったと記憶しているが、当時は難解に感じた。これは国内ではビデオ化されてない。DVDは、フランス本国では出ているようだが、せめて英語字幕がないと理解が厳しいので、なかなか手が出しにくい。
『流れ者』については、国内ではビデオ化さえされてないが、米国版のDVDが容易に入手できるので、英語字幕付きで見ることができる。以前から機会をうかがっていたのだが、今回、中古品を安く入手した。
なお、『男と女』は、国内でもDVDが出ているのは言うまでもない。私が大切にベータ録画を持っていたのは、吹替が貴重だと思うからである。ジャン・ルイ・トランティニアンの声は、本人よりも、吹替の印象が強すぎる。

51qvn488czl_sl500_aa240_『流れ者』(原題の意味は「悪党」)は、『男と女』や『白い恋人たち』といった映画のあと、ルルーシュが発表した、一種の犯罪映画である。とはいえ、あのルルーシュが撮っているのだから、それらしくない犯罪映画である。どれも素晴らしいジョゼ・ジョヴァンニの本格的なギャング映画とは比べ物にならないし、職人気質のアンリ・ヴェルヌイユの娯楽作とも異なるものである。何せ、いつものように、フランシス・レイの甘い音楽である。拳銃ドンパチの映画でないことは間違いない。
概要は、ジャン・ルイ・トランティニアン演じる悪党が、子供を誘拐して銀行から大金をせしめるが、犯罪に加担した子供の父親の裏切りで逮捕され、脱走して高飛びするというもの。このような概要では、面白そうに聞こえないのだが、これが何とも面白い。描き方が独特なのである。
大きなところでは、そんなに珍しいことではないが、時間の倒置があって、現在、過去、現在と描かれるのだが、その構成は分かりにくくなるものではなく、話を盛り上げるようにうまく工夫されている。小さいところでは、ニュース放送のナレーションを交えた、ドキュメンタリー調の部分がところどころあって、これが話の流れを引き締めている。

今回ノーカットで見たわけで、当たり前だが、ローカル放送のざらついた画面をベータ録画した画質の悪い映像と同じ映像が、数段良い画質で見られたのは非常に良かった。細かいシーンがいくつかカットされていたことが分かったが、二時間枠の中でばっさり切られて問題になるような部分はなかったようである。吹替については、主人公がビールを飲もうとするたびに口癖のように言う、「泡を立てるなよ」は、確かに言っているのを確認した。かつて借りていた部屋に押し入り、階段の隠し扉に隠した現金入りのアタッシュケースを取り戻す場面で、現在の住人を窓に向かって並ばせ、歌を歌わせるのだが、この歌が吹替では「聖しこの夜」だったのだが、これは原語では別の歌だった。多分、過去のシーンで誘拐がクリスマスシーズンに行われ、仲間がサンタクロースの格好をするところから来ているものと思われる。ただ、現在のシーンは、クリスマスシーズンというわけではなさそうなので、この選択が良かったかどうか? 吹替では印象的なシーンであったのだが。
フランソワ・トリュフォーの『黒衣の花嫁』でジャンヌ・モローに殺される一人、画家役だったシャルル・デネールが裏切り者の役なのだが、この人は、自分の中では、いかにもフランス人という感じがして、出てくるだけでうれしい役者だ。

この映画はルルーシュ流の一風変わった犯罪映画ということになる。主人公の「悪党」は、他人を信じず、女に冷たく、頭が切れて、と描かれているのだが、どうにも善人に見えてしまう。悪いことをしているのに悪く見えない。いわゆるジャンル映画になっていなくて、悪者が賛美されているように見えてしまう。そういったところが、一般受けしなかったのではないだろうか。
しかし、ジャン・ルイ・トランティニアンのファンで、この映画を見たことのない人は、ぜひ見るべき作品だと思う。
次は、ジャック・ドレー監督の『パリから来た殺し屋』をぜひ再見したいと思う。

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'09/11/04 ゴミ箱から拾ってきた映画、ジェス・フランコ監督『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』(独伊68年)Marquis De Sade's Justine

ここのところ、クズ映画の帝王と呼ばれるジェス・フランコ監督作品のうち、出来の良さそうなものを何本か見ているが、クズ映画の深みにハマらないように、出来の悪いものは避けている。そういうのは、初めから手を出さないようにしているのだが、つい誘惑に負けて安価な『ゾンビの秘宝』とか、ナチ女囚ものとか見たくなってしまいそうだ。
さて、今回見たのは、『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』ということで、題名通り、サド侯爵のジュスティーヌ(女性名)もの、「美徳の不幸」話を映画化したものである。サド侯爵は「サディズム」という言葉の語源になった人。日本では、彼と彼に関する著作は、渋澤龍彦氏によって広く翻訳紹介されて馴染み深い。彼の偉大な功績に感謝しよう。
ジュスティーヌもの「美徳の不幸」の対になるのが、姉ジュリエットの活躍(?)を描く「悪徳の栄え」であり、これらはサド侯爵の代表小説となる。ジュスティーヌものは、実は三回書かれており、最初は短編小説だった(渋澤訳の題名では『美徳の不運』)。これを元に膨らませて長編小説として出版されたのが、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』である。これが、さらに、続編と言うべき、『悪徳の栄え』に連なる形で書き直され(渋澤訳の題名では『新ジュスティーヌ』)、文体が主人公の告白体から客観描写に変わっている。
サド侯爵の小説は、主人公の波乱万丈、冒険を描いたもので、そこに彼独特の哲学や、アイデア溢れる(笑)放縦な描写(平たく言えばエロ)がふんだんに盛り込まれるといったものだろうか。時代を感じさせるものであって、現代の読者には読み進めるのがかにり退屈に感じられるものだろう。『悪徳の栄え』ともなると、エロ、グロ、ナンセンスな世界なのだが、サド侯爵の小説は、同時代のイギリスの恐怖小説(ゴシック・ロマンス)に繋がるものが感じられる。と言っても、サド侯爵の作品で繰り返し展開される彼の哲学は、他にはない独特なものであり、共感できるものではないにせよ、非常に興味深く、楽しく読めるものではある。色々取り上げて、議論の種にするにはとても良いのではないだろうか。(例えば、人殺しはいけないことなのか、サド侯爵の見解を調べてみるのは良い勉強になる)

51r45bkw6xl_sl500_aa240_さて、映画のほうの話をしよう。冒頭、クレジットに入る前に、クラウス・キンスキーが登場して、台詞のない、わけのわからない場面が展開されるのだが、これは獄中のサド侯爵という設定らしく、彼が悪夢に苦悶しつつ、この話を書いているという描写らしい。その後、キンスキー演じるサド侯爵は何度か現れ、最後を締めくくるのだが、率直に言って、この部分は無いほうが、わかりやすくて良いと思う...(文芸映画だぞ、とでも、格調を高めるつもりなのだろうか?)
ストーリーは、原作どおりではないにしても、原作を良く活かしてうまい脚本になっていると思う。エドガー・アラン・ポーとか、ラブクラフトとか銘打って、内容はほとんど関係ないでっち上げとは異なり、ちゃんと原作を映画化しようとしており、時代の雰囲気をたっぷり醸し出した、いわゆる、「コスチューム・プレイ」になっている。
ヒロインであるジュスティーヌを演じるのはロミナ・パワー、姉ジュリエットを演じるのはマリア・ローム。妹は栗色の髪で、いかにも「おぼこ」といった感じ、姉は金髪色白で「悪」な感じが滲み出ているキャスティングが良い。
親を亡くし、教会の寄宿舎を追い出された二人は、姉は売春宿から始め、悪事を重ねていが、袂を別った妹は不幸の連続。まずは似非神父に騙され金を奪われ、旅籠に女中として棲みつくが、客の持ち物を盗んだ濡れ衣で投獄、ここで盗賊団の女親分にそそのかされ、一緒に脱獄するが、盗賊仲間になぶりものにされそうになり逃げ出す。森の中で絵を描いていたレイモン(原作にはこのような善人は登場しない)に助けられたのも束の間、追っ手がやってきて、逃げ出す羽目に。貴族の領地に迷い込み、そこで捕まって、女中になる。(この貴族は原作では男色家という設定だが、その雰囲気がちらりと描写されるだけ)
奥方(原作では叔母。この奥方を演じるのがシルヴァ・コシナで、入浴シーンが見どころ!)に気に入られたのは良かったが、財産目当てに夫は、ジュスティーヌに毒殺を手伝うように言う。それを拒否して、奥方に真実を打ち明けるが、夫自らが酒に毒を盛って奥方を殺す。罪を着せられたジュスティーヌは胸に殺人者の烙印を押される。
彷徨った末、ある修道院で助けてもらうが、この修道院は快楽を追及し、悪徳にふけっている狂った院長(ジャック・パランス)に支配されており、少女たちが監禁されている。生贄にされかけるが、落雷が修道院に落ち、命からがら逃げ出す。道で生き倒れになっていた彼女を通りがかった馬車が見つけ、助けるが、それは以前彼女を助けたレイモンその人だった。
彼は、彼女を街に連れていって宿屋で休ませるが、その町で芝居を打っていた盗賊団の女親分がそれを見て、彼女を連れ去り、裸の見世物にしようとする。ところが、彼女の胸に殺人者の烙印を見た観客が騒ぎ出し、ジュスティーヌはひったてられる。
そこに通りがかった伯爵夫妻がその様子を見て、妻は夫に頼んで罪人を呼び寄せる。姉ジュリエットは、悪事を重ねた末、伯爵夫人の地位を得ていたのだった。彼女は妹を助ける。

この映画は、原作に比べたら、非常に「ソフト」である。原作でのジュスティーヌの虐待はひどいもので、確か、宿で働いていたときは、客に強姦された揚句、足の指を切られたはずだが、そんな酷いシーンは一切ないし、この映画では、犯されてさえいない。他にも色々酷いエピソードがあるが、それらは省略されている。それらをそのまま描いたら、当時は公開できなかっただろう。
驚かされるのは、最後の場面で、姉に再会した妹が、自分の生き方は間違っていた、と言うのである。しかも、それに対して、姉のほうは、悪で得たものは虚しいだけだ、それでは幸福は得られない、などと返答する。そして、ジュスティーヌはレイモンと幸せになったとさ、みたいに終わる。サド侯爵はこんな結論は出さない!『美徳の不幸』のときはまだ助かったが、『悪徳の栄え』では、ジュスティーヌに象徴される美徳は徹底的にコケにされ、最後に雷に打たれ絶命すると、その遺体はさんざん凌辱されるのである!

サディストが見るには生易しすぎるが、一般人が見るには適度に刺激的な内容といったところではないだろうか。間違っても哲学的内容を期待してはいけない。
私は中古VHSで見たが、国内版のDVDも出ていた。
なお、同じジュスティーヌものを原作にしたイギリス映画『マルキ・ド・サド 第三の悪徳』というのが手元にあり、これは、『新・青い体験』のクー・スタークと、『サテリコン』のマーティン・ポターが出演しているようだ。こちらも見てみようと思う。
* * *
[追記]
『マルキ・ド・サド 第三の悪徳』も見てみたのだが、こちらは原作への忠実度がかなり低い。それでも面白ければよいのだが、あまり面白くない映画だった。残念。

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'09/11/03 ゴミ箱から拾ってきた映画、ニコラス・ローグ監督『赤い影』(英伊83年)Don't Look Now

まだまだ、見ないまま、ほったらかしにしてある映画が多すぎる。特に録画したものは、何を録画したのかさっぱり忘れているため、うっかり大したことのない映画のDVDやビデオを買ったりしてしまう。時には、すでに持っているDVDさえ、忘れて同じものを買ってしまったりもする。昔、日曜洋画劇場で淀川長治さんが解説していた『ドラキュラ』(ジョン・バダム監督、フランク・ランジェラ、ローレンス・オリビエ出演のもの)を再見したいと以前から思っていて、少しソフトを探してみたりしたのだが、何のことはない、録画したDVD-Rで別の映画を探していたら、ひょっこり出てきたではないか。(ついでに、VHS録画を処分して失くしたと思っていたダリオ・アルジェント監督の『オペラ座の怪人』も発掘した)
逆に、放送されないし、DVDもないということで、中古のビデオを入手したはよいが、その後、まだ見てないうちに、衛星で放送されたり、安価にDVD化されてがっかりすることもある。例えば、今回見たこの『赤い影』や、マイクル・パウエル監督の『血を吸うカメラ』がそうで、これらは録画した記憶はあるが、DVD-Rがどこにいったか探すのに苦労した。結局、両方とも見つかったので、ビデオは使わず、DVD-Rで見ることにした。(どちらとも以前「シネフィル・イマジカ」で放送されている)

さて、『赤い影』は、デヴィッド・ボウイ主演のヘンテコなSF(?)映画『地球に落ちてきた男』で、ぶっ飛んだ素晴らしい映像を見せてくれたニコラス・ローグ監督のミステリー(?)映画。調べてみると、ローグは撮影監督出身で、『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』といった名作、また、フランソワ・トリュフォー監督の『華氏451』(レイ・ブラッドベリ原作のSF小説の映画化だが、個人的にはカルト作と言うべき変な映画だと思う...)の撮影も彼が手がけたということである。なるほど、映像に凝る人らしい。
『赤い影』は、ペニスを舞台にほとんどの物語が展開されるが、この映像の色調が独特でまず好き嫌いが分かれそうである。水の都ペニスというと、観光地で、さんさんと太陽が輝き、運河や海がきらきら輝いてというイメージなのだが、この映画では、観光シーズンもそろそろ終わりで、ホテルも店じまいしようとしているといった季節で、空はどんより曇り、水も物憂げに重たく見える。(こういった色彩は実に日本人の心にマッチするような気がするが、いかがなものだろうか。ニコラス・ローグが日本で何か映画を撮影していたら良かったのにと実に悔やまれる) しかし、迷宮のようなペニスの街は本当に美しく素晴らしい。

お話は、冒頭、ドナルド・サザーランドとジュリー・クリスティ演じる夫婦の、息子と娘が外で遊んでいて、娘が池に沈んでしまう。父は引き上げるが時すでに遅し。で、舞台はペニスに変わって、サザーランドは古美術の専門家ということで、教会の修復の仕事をしており、夫婦でホテル住まい。レストランで食事をしていると、妻はひょんなことから老姉妹と知り合いになり、盲の妹が、娘の霊が見えると言う。言い当てられてびっくりした妻は、彼女らの話を聞きに行くと、夫に命の危険があるのでペニスを去るように言われる。不吉なことに、夫は、修復現場で、足場が壊れて転落事故に遭いそうになる。また夫は川から死体が引き上げられる現場を見る。息子を預けていた学校から電話があり、事故があったとのことで、妻は急遽一時帰国することになる。しかし、夫は翌日、妻と件の姉妹が船に乗っているのを見かけて追いかけるが見失い、姉妹の家に向かうと彼女たちは行方知れずになっている。おかしいと思い、警察に相談すると、怪しまれて刑事に尾行されることになる。息子の事故は軽い怪我だけだったとのことで、妻は戻ることになる。結局、単なる見間違いだったのか。
姿を消していた姉妹が見つかり、盲の妹が警察に確保されていたのを事情を説明し、送って帰る。ベニスに戻って来た妻は、タクシーで警察に向かい、行き違いになる。家に戻った盲の妹が発作を起こし、夫は急いで去るが、「彼を行かせてはいけない」と彼女は叫ぶが、時すでに遅し。そこに駆け付けた妻も間に合わず、後を追う。夫は夜の街の中で、死んだ娘に似た赤いコート姿を見かけ、追いかけるが、...

うーむ、少なくとも「ジャーロ」(犯人探し)映画ではない。ミステリーねえ、確かに謎めいている。ホラーだという人もいるかもしれない。オカルトと言う人もいるだろう。サスペンスと言えば、サスペンスだねえ。確かに殺人事件らしきものはあるのだが、それは主人公が傍観したものとして出てくるだけである。この映画を変にジャンル分けしたくなるのは、最後の最後を見て、そう言いたくなるのだろう。確かにぞっとする。だが、この映画は、そういうジャンル分けを受け付けない類のものに思える。(そう言えば、『地球に落ちてきた男』も単純にSFと呼ぶのが憚れる内容)
あえて、ジャンル分けするのであれば、個人的には、「ヒッチコック的」と呼びたい。
一つには、原作が、ヒッチコックが映画化している『レベッカ』『鳥』のダフネ・デュ・モーリアの小説であること。そして、その選択は、内容的にもヒッチコック映画との共通点を持っているように思える。
ヒッチコック映画では「恐怖症」がよく描かれる。お医者さんごっこのような『白い恐怖』しかり、高所恐怖症の『めまい』、覗き屋『裏窓』、『サイコ』野郎、原点『間違えられた男』などなど。ヒッチコック映画の場合は、しかし、そういったトラウマが娯楽映画の枠内にうまく収められ、合理的な説明を与えられている。
しかし、この映画では、そういう説明はない。原作を読んでないので、何とも言えないのだが、この映画が淡々と描かれている「事件」は、下手な解釈なしでそのまま受け止めるべきだろう。
ポイントは、「霊媒」の言葉で、娘の幽霊がいると信じたのは妻のほうだが、実は、夫のほうこそが娘の死に取りつかれている、のである。いやあ、それって見たまんまじゃないですか。しかし、そう描かれている以上、そうとしか言いようがない。ヒッチコックの『めまい』の主人公が病的にとりつかれていたのと同じように、サザーランド演ずる男は、一見正常に見えて、実はかなり病んでいる。
さらに言うならば、この夫婦は、「霊媒」姉妹というパートナーを得て、交流分析で言うところの「ゲーム」を行っているという見方もできるかもしれない。そのゲームは悪いゲームであり、その結果、不幸を招く。(妻は夫に対して隠れた憎しみを抱いており、...) だが、こういった見方は、原作を読んでない段階では時期尚早だろう。原作の翻訳本はあったようだが、現在は入手困難。原文で読むのはちょっときついかもしれない。
(最後に撮影されたという、夫婦の性交シーンは、その描写の生々しさが有名らしいが、原作にはないだろうこのような描写が追加されたことが、この映画のテーマを強めているようで実に興味深い)

私は、人はいかにして事件に巻き込まれるのか、不幸を呼び込むのか、なぜ、人生にはときにおいて信じがたい偶然があるのか、それは避けることができないのか、といった興味をもつ。それはオカルトめいている。
この映画は、ヒッチコックのような娯楽映画の枠を少々はみ出してしまっている。それゆえ、興行的には決して成功しないだろう。楽しく見られる作品ではない。人によっては見ないほうがよいのではないか、と思える。この映画を変にジャンル分けしようとするのは、何かの枠組みに入れてしまうことで、衝撃を和らげようとする努力だろう。真正面からぶつかるのは少々勇気がいる映画と見た。
goo映画では、「自分の葬送を目撃した男の異様な体験を描くオカルト映画」とあるが、見当違いも甚だしいと批判させてもらおう。

邦題は、何やらミステリめいたものになってしまっているが、原作そのままの原題のほうがずっと内容的に的確だと思う。
「今見るな」 今見るべきでないものを見つめてしまってはいけないのだ。

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'09/11/02 ゴミ箱から拾ってきた映画、ジェス・フランコ監督『フェイスレス』(仏87年)Faceless

前回、『X-312 フライト・トゥ・ヘル』について、

ジェス・フランコ監督だからクズ映画かと思いきや、決して侮れない。200本弱も作っていれば、玉石混合、出来の良いものも悪いものもあるだろう。この映画は出来の良いほうの一本ということか。

と感想を書いたが、そこで、さらに出来の良さそうなものを見てみることにした。なにしろ、この『フェイスレス』は国内でも劇場公開され、ビデオも出ていたのだから、フランコ作品でも間違いなく出来の良いほうの映画だろう。第一、キャストが豪勢である。
ヘルムート・バーガー、ブリジット・ラーエ、テリー・サバラス、クリストファー・ミッチャム(ロバート・ミッチャムの御子息)、ステファーヌ・オードラン、キャロライン・マンロー、...
これだけでもかなり予算がかかっている。テリー・サバラスは実際のところ一箇所で一回撮影しただけのようで、それほど顔を出すわけではない。クロード・シャブロル監督の諸作品でお馴染みのステファーヌ・オードラン(先日見直した『そして誰もいなくなった』にも出ていた)は、前半で早々に殺されてしまう役柄ではあるが、殺され方といい、しっかり被害者役をこなしているのは驚き。こんな映画にも出たのは余程ギャラが良かったのか。
この映画はフランス産。作られた時期は、スプラッター映画が大ブームを起こした後、市場がその手の映画を多く受け容れていた。思うに、製作者に、フランス発の、世界に通用する恐怖映画を作ってやろうという意気込みがあったのではないだろうか。そして、その素材として選ばれたのが、スペインのジェス・フランコ監督を一躍有名にした、彼の最初期の作品『美女の皮をはぐ男』のリメイク、というのも、元映画自体、フランス映画『顔のない眼』を元ネタにしたものであるからだろう。
大筋は、ビスコンティ作品でお馴染みのヘルムート・バーガー演じる美容整形外科医が、以前の手術で顔を痛めたことを恨んだ患者に硫酸をかけられそうになるが、彼をかばった妹が代りにかぶり、顔面が焼けただれてしまう。そこで、何とか、妹の顔を、以前の美しい姿に戻したいと、他の女の顔面を移植しようとする、という話である。
フランコ監督の映画というと、話の筋がさっぱりわからなく、それゆえクズ呼ばわりされるものが多そうだが、この映画の脚本はしっかりしている。いくつかユーモラスなシーンもあって余裕を見せている。演出は、特に切れがあるというほどのものでないにせよ、無難にこなしているだけでも、話がしっかりしているので、退屈することはない。ショッキングなシーンの出来栄えも十分である。しかし、全体を通して見ると、どうにもバランスが悪く、かつ後味の悪いものになってしまっている。
失敗の原因はいくつかあるが、一つには、詰め込みすぎ。まず、他の映画を色々参考にしたと思われるショッキングなシーンをいくつも入れて観客の度肝を抜いてやろうという努力に加え、趣味丸出しな面白いシーンが入っていたりする。例えば、病院には、ドラキュラ映画のレンフィールドに相当する、汚い仕事を専門に行う残忍で知恵足らずの男がいるのだが、犠牲にするために監禁している女につい手を出してしまい、傷をつけたのを、整形外科医のパートナーである女医に咎められ、「調教」されるという、いかにも、ナチス女囚ものを撮りまくった監督らしいシーンがあったりする。(実際、フランコ自身脚本に参加しているらしい) もう一つに、せっかくウィリアム・バーガーを主役に据えながら、彼の役どころが今一つはっきりせず、引き立たない。善人ではなさそうだが、悪事を働くシーンもほとんどない。顔面移植手術を行うのは、彼自身ではなく、彼が依頼した老医師(過去にナチスと繋がりがあったことを何かと匂わせる)であるし、殺しを担当するのは、パートナーの女医である。この女医の悪女ぶりが見事に際立っており、その分、本来主役である彼の影が薄くなってしまっており、中途半端で感情移入しにくくなっている。
この映画の後味の悪さは、話が勧善懲悪ではなく、一度は失敗した手術が今度は成功した、というところで話が終わってしまうところにある。普通なら、成功したと思ったら、また不具合が生じてといった具合に、そこからさらなる展開があるだろうし、囚われたヒーロー、ヒロイン(?)の逆襲がありそうなものだが、そこで終わってしまうので、見る人は誰にも感情移入できないまま、宙ぶらりんになってしまう。結局、製作者の趣味を見せつけられただけのような気がしてしまう。それも、やはり、全体のバランスをよく考えず、短い尺の中に詰め込んだのが原因だろう。
しかし、そういう観客を突き放しているところも、また、ショッキングな映画であると言えなくもない。せっかく上手に撮れていても、これでは観客の共感を呼ばず、興行成績はそれほど良くなかったのではないだろうか。
それにしても、顔面の皮膚を切り取られた、真っ赤な肉塊と化した顔が、ぶら下げられた自分の顔を、目の向きを変えて見るというシーンにはぞっとした。

なお、この映画、残念なことに国内版DVDは出てないようで、中古VHSで探すか、アマゾン等で海外DVDを購入する必要がある。

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車の走行音は静かなほうが良い

2009年10月15日 ... ハイブリッド車(HV)の走行音が静かすぎて歩行者に危険との指摘を受け、国土交通省は15日、低速走行時にエンジンに似た音が出る装置を搭載するよう自動車メーカーに義務付ける方針を固めた。

との新聞記事を読んで、ひっくり返りそうになった。あまりに馬鹿げている。せっかく走行音が静かになったというのに、なぜわざわざうるさくするのか。それは、走行音が静かで歩行者が気付きにくいため、事故を起こす可能性が高まるという理屈なのだろう。それに反論したい。
まず、エンジンがモーターに変わっても、タイヤで走ることに変わりないのだから、道路との摩擦による走行音は変わらずする、というのが一点。次に、歩行者が近づいてくる車に気付かない状況とは、歩行者の目に車が入らない場合のことであって、ほとんどの場合、車の運転手には歩行者が目に入ると思われる。それならば、運転手はクラクションを鳴らせばよい。と言うか、別に電気自動車に限らず、やかましい車であれ、歩行者に注意を促すべき状況は多々あるはずだ。歩行者の安全を最優先して確保することは、運転者の義務、必須事項ではないか。ドライバーの意識に問題があるのではないか。
(なお、車が正面から向かってくる場合でも、盲人の場合はどうか、などと言う理屈屋には、もう一度自動車学校の教本を読み直し、道路交通法を勉強し直すことを勧めておこう)

クラクションの音が耳障りだと言うなら、何種類か音を選べるようにするとか、携帯電話の着信音のように、色々なものを設定できるようにするとか、色々方法はあると思う。そういう「ソフトな」発想はできないものか。
せっかく静かに走行してくれるというのに、必要のないときまで、騒音を垂れ流すというのは迷惑である。
エンジン始動に息を吹きかけ、アルコールをチェックしないとかからない、とか、こういったバカバカしい技術の押しつけは御免こうむりたい。そんなことに時間を費やすぐらいなら、どうしたら人はもっと真っ当になれるか、何か本の一つでも読んで考えてみたらどうか、と言いたくなる。

街中の生活道は、歩行者や自転車が中心である、という発想の転換が必要である。それをどこもかしこも自動車が、我が物顔で通ろうというのが間違っている。人は、乗り物に乗るとそれだけで自分が大きくなった気になって、謙虚さを忘れてしまうのだ。(まったく某自動車メーカーのエクスプロイテーションにはうんざりさせられる)
私も乗り物は大好きだ。だが、そんなものより、人間はもっと尊いのだ。

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'09/11/01 ゴミ箱から拾ってきた映画、ジェス・フランコ監督『X-312 フライト・トゥ・ヘル』(独西71年)X312 - FLIGHT TO HELL

ジェス・フランコ監督と言えば、スペイン出身で、ヨーロッパでクズ映画を中心に200本近く撮ったという、相当なヴァイタリティの持ち主であったことは聞いている。彼が監督した映画のビデオやDVDを何本か持っているし、二、三は見たはずだが、退屈なものだったので、やはり、この監督の映画はゴミばかりだと思っていた。
あるDVDを見終わった後、その会社がリリースした他のDVDの予告編が付いていたので、見てみたら、その中に『X-312 フライト・トゥ・ヘル』というものがあり、そのタイトルには記憶があった。確か、監督はあのジェス・フランコで、衛星の「ホラーTV」で放送されたのを録画したはず。タイトルからして、飛んでいる旅客機の中に化け物が出てくるようなホラーを想像していた。それで、どんな映画なのだろうかと、その予告編を見たところ、全然違った。ジャングルに飛行機が墜落して、乗客がそこから脱出するような話らしい。
出演者はほとんどわからない役者ばかりなのだが、唯一、フェルナンド・サンチョは知っていたので、余計興味をそそられた。彼はマカロニ・ウェスタンでよく悪役を演じている、でっぷりふとった、口髭が特徴的な男である。個人的には、特に、ジュリアーノ・ジェンマ主演の『南から来た用心棒』での敵役が記憶に残っている。
そこで、過去に焼いたDVD-Rを探して、何とか探し出して、一通り見てみた。
お話はというと、ブラジルから飛び立った小型旅客機には、銀行の宝石を横領した頭取が乗り合わせており、それを狙った組織がハイジャックを企むが、失敗して旅客機はジャングルに墜落してしまう。生き残った乗客たちはジャングルからの脱出を図るが、サンチョ演ずるパーサーは、人知れず頭取を始末して宝石を奪う。遺跡に辿りつき、大体の地理が掴めたのは良かったが、そこで首狩り族に襲われる。また、ハイジャックを企てた一味の仲間であるヤクザな連中に捕まるが、大銃撃戦の末、逃げ伸びる。ここまで残ったのはヒーロー、ヒロイン、サンチョの三人だが、ヒッチハイクした街に向かうトラックの荷台で、宝石をどうするるかで、主人公とサンチョは揉め、ついにこの悪漢も命を落とす。宝石を手にした主人公と、女は愛しあうが、宝石を警察に引き渡すことを主張する彼を、女は裏切り、彼も死ぬ。だが彼は、その事態を予測して、告白テープを残していたため、女は逮捕されて終了。
脚本がしっかりしており、ああなって、こうなって、と話が進むので、見ていて退屈しない。遭難からの脱出という緊迫感のある状況を描いているのは、それだけで一つのアドバンテージであり、余程下手でなければそれなりの緊迫感を得ることができろだろう。だが、この映画には、それだけではない、娯楽要素が他にもいくつか盛り込まれており、十分楽しめる。
4510840001687演出は、それほど切れは感じられないがしっかりしており、見るからに悪女なヒロインの脱ぎっぷりの良さは見どころだし、脱出劇は結構スリルがある。十分及第点は取れている。ジェス・フランコ監督だからクズ映画かと思いきや、決して侮れない。200本弱も作っていれば、玉石混合、出来の良いものも悪いものもあるだろう。この映画は出来の良いほうの一本ということか。
国内DVDも出ていたが、高額だし、余程の映画マニアでなければ新品購入するとも思えない。すぐ廃番になったのも道理だろう。(おかげで衛星で見られたというわけか?) 今なら、中古で比較的安く入手可能かと思われる。

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'09/10/31 ゴミ箱から拾ってきた映画、フランコ・ネロ出演作『復讐の銃弾』(伊90年)THE ANNOYANCE AVENGER、その他

私はフランコ・ネロが好きだが、それはご多分に漏れず、『続・荒野の用心棒』のジャンゴ役が衝撃的だったからだと思う。手持ちのビデオをいくつかデジタルにダビングしたので紹介しよう。

警視の告白(伊71年)ダミアノ・ダミアーニ監督 マーティン・バルサム、フランコ・ネロ
 マフィアの力が警察権力に及んでいることを告発するような内容らしい。らしい、と言うのは、ちゃんと見てなかったので... ダミアーノ監督の映画は、大概、こういった社会的視点をもった娯楽作品で、それが面白いと思うかどうか。少なくとも、マカロニ・ウエスタンの体裁を取った『群盗、荒野を裂く』は大変面白かったが(『ミスター・ノーボディ2』のほうは駄目)。ちゃんと見る価値のある映画だと思う。

ブラック・シャツ 独裁者ムッソリーニを狙え!(伊74年)カルロ・リッツァーニ監督 ロッド・スタイガー、ヘンリー・フォンダ、フランコ・ネロ
 これは昔テレビで見たことがあったので入手した。カルロ・リッツァーニ監督と言えば、個人的にはコリンヌ・クレリー主演の『ホテル』がお気に入りだが、ネオ・リアリズム系の面白くない監督という気がする。この映画も決して娯楽作品ではなく、第二次大戦時の独裁者ムッソリーニが射殺される、最後の何日かを描いた、極めて真面目な歴史物。これもちゃんと見なかったのだが、フランコ・ネロの役どころは、最後に独裁者を銃殺するパルチザンの棟梁(?)といったところ。ヘンリー・フォンダは、カトリックの大司教(?)の役で、初めのほうで少し出てくるだけ。この映画の見どころは、ムッソリーニを熱演するロッド・スタイガーであり、役者冥利に尽きるといった感じがする。

豹/ジャガー(伊68年)セルジォ・コルブッチ監督 フランコ・ネロ、トニー・ムサンテ、ジャック・バランス
 これはビデオではなく、衛星放送を録画したもので見た。マカロニ・ウエスタンの一種で、メキシコを舞台にした革命もの。同じ監督、ネロ主演で同様の舞台の『ガンマン大連合』は以前に見たことがあったが、それ以前に撮られたこの映画も面白かった。詳細は省く。

ケオマ・ザ・リベンジャー(伊77年)エンツォ・G・カステラッリ監督 フランコ・ネロ、ウッディ・ストロード
 これもちゃんと見てないのだが、ブームの過ぎ去った後に撮られたマカロニ西部劇。ネロの演じる主人公ケオマはインディアンという設定なのだが、無理があるような... ちゃんと見る価値はあると思う。

サハラクロス(伊76年)トニーノ・ヴァレリ監督 フランコ・ネロ、パメラ・ヴィロレージ
 これまたちゃんと見てない。昔、木曜洋画劇場で放送されたときじっくり見たはずなのだが、さっぱり記憶に残ってない。サハラ砂漠を舞台にした活劇?

で、今回じっくり鑑賞したのが、表題の
復讐の銃弾(伊74年)エンツォ・G・カステラッリ監督 フランコ・ネロ、バーバラ・バック
 ネロがエンツォ・G・カステラッリ監督と組んだ犯罪アクション映画は、他にも、この前年の『死神の骨をしゃぶれ』と、80年の『コブラ』がある。
『死神の骨をしゃぶれ』は一般に傑作の評価で、以前国内版DVDが出たぐらいであるが、まあ、そういうのは後回しということでストックしたまま未見。
『コブラ』のほうは見たのだが、以前、このブログで感想を書いたとおり、あまり面白くない映画である。(色々制約が課せられて思い通り撮れなくなってきた時代のせいもあろだろう)
だが『復讐の銃弾』は大変面白かった。この時代のイタリア製アクション映画は本当に面白いものが多い。
お話のほうだが、犯罪アクションと言っても、ここでネロ演じる主人公は、刑事でも探偵でもなく、一般市民である。たまたま、銀行強盗事件に巻き込まれ、犯人一味に拉致され、人質として車の逃走に付き合わされる羽目になる。それがトラウマになった彼は、警察の消極的な捜査に業を煮やして、自ら捜査を開始し、犯人一味に復讐する、といった話。
この映画の良いのは、カステラッリ監督の演出が冴えまくっているところ。最初の強盗事件で、街中を犯人一味が逃走するのをパトカーが追いかけるカーチェイスシーンがまず良い。イタリア映画お馴染みの薄青のアルファロメオのパトカーが、これまたアルファロメオのセダンを追いかける。カステラッリ監督はマッドマックスもどきの『マッド・ファイター』でもカーアクションを存分に見せてくれていたが、こういうのが好きなんだろうなあ、というのが伝わってくる、見る人をぐっと引きつける魅力に溢れている。
 アクションシーンは、スローモーションをうまく織り込む編集に工夫が見られ、迫力がある。ネロの体当たりスタント演技は迫力十分である。
 その後、独自捜査にのめり込んでいく主人公は、度が過ぎてしまい、最後は犯人一味との撃ち合いになるのだが、これまた緊張感溢れるガンファイトで、演出、編集も切れている。
 まったくダれること、飽きさせることなく、楽しませてくれる。例によって、イタリア刑事ものは音楽も実に良い。お勧め。

次は、ぜひとも、昔々テレビで一度見たきりの
『怪奇な恋の物語』(伊69年)エリオ・ペトリ監督 フランコ・ネロ、ヴァネッサ・レッドグレーブ
を再見したいところだ。ところが残念なことに、この映画、どこも放送してくれない。米アマゾンでVHSビデオが、イタリアだとDVDでも入手可能だが、イタリア語音声で字幕なし仕様だときついかもしれないので、なかなか手が出せない。(せめて英語字幕が付いていれば良いのだが)

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'09/10/31 ゴミ箱から拾ってきた映画『トップレス くいこみ軍団』(伊90年)DIVA FUTURA

これは正真正銘のゴミ映画です。池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』で知られる例のチチョリーナ(イロナ・スターラ)関係のビデオを集めてみようかという気まぐれが起こって昔買ったのがこの一本。これを見たら、他には買わなくて良かったと思った。
この酷い邦題の映画ですが、チチョリーナは出演しておらず、監督、脚本を手掛けている。いったいどんな話なのか、と思ったのだが、見ていて何のことやらさっぱりわからない。ストーリーはほとんどないものと思ってよい。ただ、グラビアの撮影シーンやら、キャバレー(?)の見世物シーンやら、ダンスの練習シーンやら、とにかく露出度の高いおねーちゃんたちが、出てくるシーンをぶつ切りにしてつないだような感じ(実際、編集が変)。裸が出てくるにしても、ワーワーキャーキャーやっているだけであって、楽しめない。結局、ほとんど見ないまま、終わってしまった。
邦題に「軍団」とあるのは、何やらストーリー的に関係があるらしく、ミリタリールックの女が一人だけ出てくる。とはいえ、他にも、ミュージカル「キャッツ」のような、裸に尻尾を付けた猫メークの女も出てくるし、何が「軍団」なのか良く分からない。
ジェンダー差別を恐れず言えば、この支離滅裂な脚本は、極めて女性的なものだと思う。論理を求める男性には理解できないものだろう。この映画は、一見(また国内ビデオリリースした会社の意図しただろうところでは)、裸を売り物にした男性向けのように見えて、実は、女性向けの映画である。政治家に転身した(?)チチョリーナさんに共感する女性こそ見るべき作品だろう?

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