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日常の裏で淀んでうごめいている暴力の存在

四日市のATM 無実の男性死亡から1か月 謎のまま
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/040317_1.html

取り押さえられて死亡したというのだから、よほどヨボヨボだったのか、それにしては、警官が到着する前に三人の一般人に押さえつけられていたということは、そうは思えず、よほど乱暴されたのではないかという疑いが濃厚。それにつけても、この不愉快な事件で思うのは、淡々とした日常生活の裏に抑圧されて淀んでいる暴力の存在である。
「泥棒」という狂言に反応したのは、正義感ではない、押し込められ、捌け口を求めていた破壊衝動が、ここぞとばかりに、堰を切って噴出したのだ。何が善意の市民じゃ、馬鹿者! 68歳のジイさんがなんぼのもんじゃい、なにゆえ、有無を言わさず力で押さえ込む必要がある? 逃げたってすぐ息が切れるだろう、歩いたって追いつくぜ。相手が弱そうだと見ると勇んで襲いかかっていくそいつらは、何と卑賤な奴らだろう!
それにも増して、警察もひどいよな。西部劇の保安官は、法を守るために、市民のリンチを制して、容疑者を保護しようとするのに、こいつら、状況の説明も求めず最初からジイさんを犯人扱いで、真実を追究する気配はまるでなし、警官が状況に流されて平気で誤った判断を下すのを「対応は適切だった」「あの場面で他の対応はとれるはずがない」と言ってもらっては、いったい誰が正義を守ると言うのか、青いぜ、情けないぜ、地方公務員...

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