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「脳死は人の死」 移植法A案成立について

脳死は人の死か?という問いについては、すでに個人的な回答を示しており、私の立場をおさらいすると、脳死はあくまで「脳死」であって人の「死」ではない、それはケンシローの決め台詞「おまえはもう死んでいる」状態であり、死に至る特殊な一局面である、しかし、だからといって脳死状態にある人の臓器を移植手術に提供することを否定はしない、というものである。

求められているのは、人の死の概念を再定義することではない。臓器移植の機会を増やすことである。
問題は、脳死状態にある患者から移植用の臓器を抜き取ることで死に至った場合、それは殺人になるのではないか、という懸念である。もし脳死が人の死であれば、その人はすでに死んでいるのだから、殺人の罪を犯すことにはならない。それだけのことではないだろうか?

テレビを見ていたら、魚の特定部位に針を打つことで眠らせ(麻酔状態にし)、鮮度を保ったまま空輸する方法を確立した方が紹介されていた。脳死とは、一面、この針のようなものだ。(一面、と言うのは、この魚の針麻酔の場合は針を抜けば魚は甦るが、脳死の場合、人工呼吸器を外せば患者は生きていられない)
脳死のおかげで、新鮮な、活きの良い臓器が手に入る。
あっさり、このことを認めるべきではないだろうか? 脳死を人の死にしたいのは、ただ、それだけのためであると。
脳死者はまだ死んでない、死んだも同然というだけだ。だけど、死んだも同然なんだから、早く、使えるものを使ってしまわないともったいない、と。それがどんなに不愉快で、罪深く思えようとも、それこそが真実である。

考えてみたまえ、もし、意図的に人を脳死状態に陥れることが可能になったらどうだろう。新しい裁判員制度で「脳死刑」判決を量産して、移植待ち患者に提供できるようになるかもしれない。ゾっとする。人はそれほどまでに罪深い。

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