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ノーベル賞狂詩曲

今年のノーベル賞発表に先立ち、文学賞を期待される村上春樹氏の熱烈なファンたちが勝手に盛り上がっている様子や、宣伝効果を期待して彼の著作の売り出し準備にいそしんでいる書店の様子をニュースで見て、さて、作家本人はどう思っているのだろうかと疑問に感じてしまった。
私は文系人間であるが、日本の作家がノーベル賞を取ろうが取らなかろうがどうでもよいと思っている。むしろ、海外の作家の作品が、受賞をきっかけに、翻訳されたり、再版されたりするほうが都合が良いと思う。それはさておき、

2010年のノーベル化学賞を鈴木章・北海道大名誉教授、根岸英一・米パデュー大特別教授ら3人が受賞した。

とのことで、大いに話題になったが、鈴木章教授の研究は、本人の弁も交えると、

開発した「鈴木カップリング」は、現代の有機化学で最も重要な、炭素と炭素をつなぐ反応を効率化した。医薬品や液晶材料の製造に広く応用され「血圧の薬を飲んでいるが、薬局の人に『これも先生の反応で作られています』と教えてもらい、びっくりした」

とのことである。文系人間の私にはその意義はなかなか理解し難いのであるが、それ以上に、その後の鈴木教授の発言が理解し難く思われたのだった...

「日本は資源も何もないところで、人間の頭しかない。もう少し若い人が理科系に興味を持ってもらうことが大事なんじゃないか」
「日本のような資源のない、努力と知識しかないところでは、特に理科系が大事だ」
「日本のような資源のない国は、ものを考え、新しい科学や技術を掘り起こし、付加価値の高いものを作って買ってもらうしかない」
「日本が生き残るためには付加価値の高いものを作り、世界に使ってもらうしかない」

なぜ、日本は、日本は、という発言になってしまうのだろうか? ノーベル賞というのは、国は関係なく、個人に与えられるもののはず。鈴木教授は、別に、オリンピックのように、日本代表選手に選抜されたわけではない。同朋の受賞に盛り上がったマスコミがそのような答えになるように仕向けたのだろうか? それだけではないように思えるのは、次の段階での発言(事業仕分けや「二位じゃだめなんですか?」について)....

「科学や技術の研究はお金がかかる。研究者自身の努力や知識も大切だが、必要なお金は政府がアレンジしなければならない。(スーパー)コンピューターなどの分野では絶対に必要だ」
「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」
「科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい」

個々の発言を素直に読む限り、ノーベル賞を受賞した教授ながら、そのあまりの視野の狭さと、中学生並みの幼稚な主張、論法へのギャップに驚かされ、専門外のことについては口を慎むべきだよな、というのが個人的な感想である。
鈴木教授にこのような数々の発言をさせたのは、彼のアカデミックな立場というのが大いに影響しているのではないだろうか。詳しい事情は知らないが、国立大学で化学の研究をするには、国からの研究予算がなければやっていけないということなのだろう。(村上春樹氏がノーベル文学賞を受賞したとしても決して「国益」について語ることはないだろう...)
考えなければならないのは、その予算のもとは税金だということである。だが、もしあなたが鈴木教授の意見に賛成であれば話は簡単である。消費税のパーセンテージを高め、その一定割合を研究費用に回すようにすればよいのである。これで日本の将来は安泰である?

私が聞きたいと思ったのは、わが国が、技術、科学、理化学立国であるべきだと主張する鈴木教授は、例えば、原子力についてはどのようにお考えなのだろうか、ということである。原爆についてはノーコメントでも構わない。発言を読む限り、原子力発電技術を積極的に海外に売り込むことは、鈴木教授の意に適うことになりそうだが、私のような文系人間には、国内の原子力発電一つとっても、放射性廃棄物の処理方法は問題だらけで、到底容認できるものではないと思える。(技術より道徳を優先すべき!)
鈴木教授は「重箱の隅をつつくような研究はするな」と仰るが、彼の研究そのものが「重箱の隅」であることを謙虚に自覚し、大きなビジョンで物事を語ってもらいたい、ノーベル賞受賞という肩書に相応しい人間性を示してもらいたいというのが、文系人間からの勝手な要望である。

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